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洋食やろくについて

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やろくの名前の由来

やろくの名前の由来

漢字で書けば弥六。

弥六の「弥」
南無阿弥という言葉からいただきました。
「弥」という文字の意味は「御奉仕させていただく」という意味があるそうです。
私どもの店に当てはめると、「美味しい食事を召し上がっていただく」という意味になります。

弥六の「六」
名前をつけていただいた当時、大変縁起の良い数字だった、ということです。

その言葉を合わせて、当店は「弥六」と名付けられました。

創業 1935年(昭和10年)1月1日

洋食やろくの歴史

多田善松は道頓堀にある門屋食堂で修行する。
昭和10年(1935年)1月1日 弥六(やろく)が開業。

一代目多田善松(当時31歳)
住吉大社で有名な髙田玄海という占い師に名前を占ってもらい、弥六(やろく)になる。

その当時から玉子コロッケを提供していた。
当時の名前はクロケットドゥーフで販売していた。
※フランス語で玉子のコロッケという意味

日本将棋連盟の升田幸三、原田泰夫、坂口允彦、作家の藤沢桓夫、文学者の石濱恒夫などの著名人の方も常連のお客様として来られていた。

当時、卵や牛乳はとても貴重な食材だったが、市場などに向かい、調達していた。

昭和16年(1941年)太平洋戦争が始まる。
その当時善松は召集され、残りの家族(トミ、松枝)で配給の材料を使い、常連客のみで営業していた。

昭和32年に二代目多田善一が店を継承。
多田善一は食堂百貨の千日堂で3年、たこ梅(関東煮き)で修行。

住吉大社に出前など色々振舞ったことにより、今尚7月31日は必ず獅子舞が店に来てお祓いをしてくれる。

昭和48年(1973年)店を改装。

昭和53年(1978年)多田善一死去。
当時17歳だった現三代目多田喜景が後を継ぐ。
木村屋というレストランで修行。
そこの料理長は一代目善松の弟子にあたる山口さん。
そこで包丁の使い方から教わる。

昭和63年(1988年)二度目の改装。

平成2年(1990年)心斎橋大丸の催事にて、やろくの玉子コロッケが広まる。

平成4年(1992年)BMW タナカユキ 会長田中 幸男さん(現・株式会社楽笑 会長)と知り合う。
この方のご好意により出会いが広がり、店が繁盛する。

平成13年(2001年)三度目の改装。

四代目多田吉孝
大阪の専門学校 エコール辻大阪(フランス イタリア料理課程)卒業。
辻調グループ フランス校シャトーエスコフィエ卒業
フランスのアヌシー有る1つ星レストランla cibouletteで研修した後に東京のフランス料理店で修行。
その後、やろくに平成21年(2009年)から四代目として店に入る。現在は堺宿院で洋食バルDeAileをオーナーシェフとして開業。




洋食 やろくの歴史